分離教育はよろしくないらしい
とあるニュースで、「国連が、日本は健常児童と障害児童との分離教育をやめるべき」との勧告を受けたとの報道あり。
日本は昔から画一的教育をやめて欧米流のエリート教育を推し進めるべきであると言われたものだが…どうなんでしょうな。個人的には、画一的教育であろうとエリートは勝手にエリートになるが、障害児童が画一的教育を受けても健常児童になる可能性は低いだろうと思うところではある。
教育論など一切受けていない素人の意見だが、安易に外国の教育論に振り回されず、その国の実情を踏まえた教育をぜひお願いしたい。
某大物youtube r復活について
早速まとめサイトや切り抜き動画が量産されている。
コンプライアンスやら何やらで素人イジり、やらせ番組が激減している昨今、こういう誰もが気兼ねなく馬鹿にでき、嘲笑することで優越感を満たせる存在が求められているのだろう。
自分もまとめ動画などで、初期の氏のガイジっぷりに、「こいつ馬鹿だな~」「自分が見えてないw」など大いに優越感を満たさせてもらったクチだ。今は色々やることが多く復活以降は一切見なくなったが、まだまだ氏に期待している人間が多いようだ。
優越感に浸ろうとすることを批判する気は一切無い。そうでないと人間は生きていけないから。氏は常々「他の動画には笑いが足りない」と述べていたが、嘲笑であれ何であれ、見るものに笑いを届けてほしいと期待するところ大である。
それは舞い散る雪のように
花びらだったか。
ともかく、最近ひとしお感じる老化について。
人により異なった場面で感じることだろう。
毛量、しわ、肌ツヤなど外見を鏡で見たとき、徹夜がしんどい、疲れやすい、食が細くなったといった体力の衰えを精神的に感じ取ったときなど様々だ。
かくいう自分は白髪を見た時、である。もっと正確に言えば、床屋に行った時。
もともと白髪が多い質であったので、鏡で見て少々増えていても特段気にすることは無かった。
それがここ最近、月一回の床屋のとき、髪を切られるたびに雪のように白髪が綺麗に舞い落ちるようになった。それが妙に幻想的な光景であるため、自分の中で時の流れや死後の世界を連想させ、「あぁ~トシ食ったなぁ…」と実感させるのだ。
人間いつまでも若いままではいられない。こうやって自分もいつかは老い、死を迎えることを実感できることは、余命を確認できるいい機会と前向きにとらえよう。ダラダラと過ごして後悔せぬように。
恒例の24時間テレビを思う
感動の押し売り、無意味なマラソン、偽善など批判が多い日本の名物番組だが、個人的には今のところではあるが、トータルプラスかな…とは思う。
やらない善よりやる偽善とも言うし、おそらくではあるが関連団体への寄付も社会貢献として成立しているのであろう。社会的ハンデを持つ方々への理解を深める機会にもなっていることだって否定できない。
ただ番組はこの先死ぬまで見ないだろう。
やはり感動の押し売りはキツい。番組の性質上どうしても憐憫の情を刺激せざるを得ないのは分かるが、「あ、泣かせようとしているな」という作成側の意図が丸わかりな演出には溜息しか出ない。
加えて社会的ハンデのほとんど無い人間ですら今の日本の未来に不安を抱えている。そんな人に不自然な演出を見せても、感動させるどころか、「いやいや、俺だって可哀想だよ」とヒネた気持ちにさせるだけだろう。
まぁ今のところはトータルプラスだとは思うので続けてもいいかもねとは思う。絶対見ないけど。でもマラソンはネット民との攻防が面白いので続けてほしい。
アナログ時計について考えたが
「日付が変わるまであと2時間か…」
アナログ時計の目覚ましを見た瞬間、ふと大昔に読んだ本の、『アナログ時計は視覚的に時間という概念を捉えることができる』(うろ覚え)という文章を思い出した。
もっともその先は加齢のせいか思い出せないが。
とまれ、何となく腑に落ちる感覚はある。スマホは切り替えが面倒くさくデフォルトのデジタル表記なのだが、デジタルで22時という表記をみると、「日付は24時まで。24-22=2、ゆえに今日は残り2時間か」という思考を愚鈍な私の脳でしてしまうのに対し、アナログ時計では外の暗さと併せて感覚的に残りの時間が把握できるなぁ、と。
…だから、何だろう…デジタル表記で特段困ってないのだが…
まぁ縁が有ればその書籍に再び巡り合えるかもな、などと思い脳の容量を減らす作業をするのであった。
趣味を持つ自分になりたい
自分は全く無趣味である。
強いてあげればテレビゲーム、PCゲームか。
さておきネットで調べると、『無趣味な自分を脱却して趣味を持とう、精神的に豊かな自分になろう!』などという見出しのサイトもすぐに見つかる。
懐疑的である。
趣味を持つ自分になりたい為に趣味を持つということに。
趣味というのはやはり自然に好きが高じて趣味になるべきものだから、無趣味ならそれは好きなものがない、それで結構じゃないか、という考えだ。
しかし投資を始めたりスマホを最新のものに変えて、学んだこともある。
無趣味は閉鎖に繋がりうる。
早い話、好きになるならない以前に、新しいことに興味を示さなくなるのである。物事を知る機会を捨てるようになり始めるのである。
そういう訳で、趣味を持つ自分になるためにいろいろ情報を仕入れ、「ええ、任天堂の株ってこんなに高いんや…」などと絶望しながらスマホをそっ閉じをする夜であった。